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あなたを分かっていた、つもりだった。『アンダーカレント』 豊田 徹也 著【読書感想】

きっと、万人には薦められない。
けれど、誰かに読んでほしい。
そう強く思わせるものが、本書にはある。

 

「アンダーカレント 豊田徹也 著」

アンダーカレント  アフタヌーンKCDX

アンダーカレント アフタヌーンKCDX

 

■「ひとをわかるってどういうことですか?」(p.106)

物語は、主人公の“かなえ”が、臨時休業していた銭湯を再開する場面から始まる。
そうして銭湯を営業する中、その背景が少しずつ明らかになっていく。
夫の唐突な失踪、変化した日常。それでも、日々は続いてゆく。

 

彼女のおばと、銭湯組合の紹介で来たという男“堀”に支えられながら、過去を回想しつつ、夫のいない銭湯を営んでゆく。
そんな中、偶然再会した友人から紹介された探偵“山崎”と出会った事から、物語は大きく動き出す。

 

その中で、主人公は“誰かをわかる”という事について、随所で問いかけられ、また自問自答してゆく。
作中ではこの問いかけや考えを、主人公だけでなく様々な人物達の会話の中に見る事が出来る。

 

「あのね さっきからずっとお話聞いてて思ったんだけど なんかこう見えてこないんですよ あなたのご主人悟さんのパーソナリティみたいなものがさ」(P.94)
「人当たりがいい面倒見がいい責任感がある そんなものはその人がその人たりえてるモノとはなんの関係もないですよ」(P.94)
「どう見えるかというのは何をするかという事とあまり関係ないことだからなあ」(p.141)

 

家族だから?恋人だから?
それは、わかっている理由にはならない。
“○○だから”と線引きするのではなく、まず一人の人として接しなければはじまらない。
相手は人であり、自身もまた人なのだ。

 

主人公は様々な考えや出来事に触れながら、その自問に自答を見いだしていく。

 


■まるで映画のように
本作のレビューや紹介文には、よく“映画的である”と書かれている。
私が本書を手に取ったのも、この案内がきっかけだった。

 

「映画一本よりなお深い、至福の漫画体験を約束します。」
(引用:講談社コミックプラスHP 内容紹介)

 

本作が映画的と思える場面は随所にある。
セリフ無く背景だけが映るコマや、回転木馬のシーン。これらは実に映画的な視点で描かれているように感じられる。

 

その中でも、私は何故か、カラオケのシーンが特に”映画的”であると感じている。

 

詳細はネタバレになるので控えるが、そこに流れるやり取り、会話、そしてカラオケで歌う選曲・・・・・・。

 

このシーンで起きた事だけを箇条書きして並べても、内容の再現はきっとできない。
下手をすれば、なぜその展開に繋がるのか分からなくなるかもしれない。

 

けれど、もし本当に彼らがそこにいたら、それは実に自然なやり取りだと思える。流れだと思える。
そう納得出来る、そういう“等身大”の人々のやり取りが描かれている。

 

このシーンに対しこんな風に思っているのは、私だけかも知れない。
けれど私には、強くそう思えた。

 

 

■演出の妙
本作を映画的に感じるのは、他に演出の要素も関係していると思っている。

 

まず、時間だ。
作中では、人の事情に関係なく、時間は静かに流れ続ける。
読んでいると、本当に風鈴の音が聞こえてくるかのように、静かに。

それがなおさら、人々のドラマを鮮明に見せる。

 

 

また、主人公が夫婦でいた頃の、具体的な描写が作中ではほとんど無い。
それは他者との会話の上で、断片的な過去の事柄として描かれている。
そう、“現在の”主人公にとっては、既に過去なのだ。

 

どんな出会いをし、どんな夫婦生活をしていたか。
その真実は主人公でさえ、今では回想という断片でしか追えないのである。

 

本作は、常に主人公達の“今”だけをとらえている。
このような状況下において、各々に歩み続ける彼らの“今”を、丹念に追っている。

 


■描かれるのは人のドラマ
本書には、本当に人と人とのやり取りがある時の場面が、空気感が、自然に撮影されたかのように随所で描かれている。
一度撮影した映画を、そのまま漫画化したんじゃないかとさえ思える。
が、仮にそんな風に作っても、ここまで”秀逸”に描ききる事は難しいだろう。

 

展開として安易に面白いと考えていては、こういう”作り”は出来ない気がする。
本当に”彼ら”がそんな場面に直面したとき、彼らは手探りで、どう歩んでゆくのか。
それが描かれていると思えるから、そこに見る者は驚き、引き込まれる。
どこまでも、人のドラマとして丁寧に描かれている。

 

 

本作を読んでいて驚いたのは、人の仕草や表情で、語らずとも伝えるという演出だ。これはもはや、演技の域である。

感情が表情で分かる、描けるという事は、高度な技術と言える。
ましてや移ろう感情を、表情で暗も明も描けるというのは中々簡単な事ではない。

 

例えばP.207 の主人公の表情が、私は好きだ。
晴れやかな表情は心を示しているかのようで、私はこの絵を見ただけで救われた心持ちになった。

本作に限らず、作者は非常に素晴らしい画力で人も背景も描く。
特に、切なさや葛藤、思考の表情を描きながらも、こういった表情をしっかり描ききれる所が、私はとても好きだ。

 

 

■分かっていたつもり、の先へ

誰かを分かる事は難しい。
そもそも、完全に分かろうとするなんて、実は傲慢で不自然な事なのかもしれない。

 

半分くらい分かっている、というくらいの認識が実は自然であり、健全な形なのではないだろうか。
そしてその自覚が、誰かを分かる事の第一歩なのかもしれない。

 

 

読後も、各シーンをまた読み返したくなる作品である。
本記事を書いている時点で、電子書籍はおろか新品さえ大手の通販サイトでは欠品しており悔やまれる。
私は数年前に書店で購入出来た。

ヴィレッジヴァンガードで取り扱いが多いとの情報も見受けられるが、今もそうなのかは分からない。

 

手に取る機会が限られ、内容も重い部類であり、人を選ぶだろう。
それでも、試し読み(講談社コミックプラスにて)やあらすじ、本記事以外のネットの情報等を見て、もし読んでみたいと思われたなら、手に取っていただければ幸いである。
そして、感想を聞いてみたい。

 

例えばp.266のシーン、あなたはどんな感想を抱くだろうか?