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傍らにコーヒーを置き、あなたは今何をしているのだろう。『珈琲時間』豊田 徹也著【読書感想】

コーヒーとは、実にメジャーな飲み物である。
面白い事に、国際的な会議の場から朝食のテーブルまで、オフィシャル・プライベートを問わず飲まれている。
多様な国や地域で飲まれているだけでなく、様々な“場”において、コーヒーは人々の傍らに置かれている。
だからこそ、そのコーヒーを介して見る彼らのエピソードは、実に多種多様なのかも知れない。

 

「珈琲時間 豊田徹也 著」

珈琲時間 (アフタヌーンKC)

珈琲時間 (アフタヌーンKC)

 

本書は、前回取り上げた『アンダーカレント』の作者、豊田徹也の短編集。
タイトルの示す通り、どこかしらにコーヒーが登場するエピソードのみで構成されている。
しかし後述するように、コーヒーが主役の物語ではない。

 

表紙には、コーヒーを飲む人々と、カップを置いた際に出来るこぼれた染みの輪郭。
この表紙だけで、今さっきまで誰かがコーヒーを飲んでいた形跡を、つぶさに思い描けるようだ。
その表現が、実に鮮やかに感じられる。
そうしてそれは、本書のコンセプトに通じるような気がする。

 

■多種多様な“人の模様”
本書で描かれる物語の数々は、実に多様である。
人情的、シリアス、シュールギャグ、フィクション、ナンセンス・・・・・・。
各話でガラリと変わる、毛色。

 

ある意味、短編集の醍醐味だ。
そうしてそれが、終盤に少しだけ交差していく様も心地良い。

 

 

主人公は毎話切り替わる。
数話をあけてまた、別のエピソードの主人公になる事も。

 

例えば最初に出てくる“監督”。
第1話ではギャグで終わったと思いきや、間を置いて別の回では、シリアス、更に監督が撮ったとされる映画“うそつき博士”の回(1話のラストに、うそつき博士が監督の作である旨の看板が写っている)。
そしてラストもまた、監督のエピソードとなる。

 

また、主人公の一人には『アンダーカレント』で登場した私立探偵“山崎”も登場する。知っていると、思わずニヤリとしてしまう。

 

 

■定点カメラとしてのコーヒー
本書はタイトルの示す通り、各話に必ずコーヒーが関わる。

 

が、コーヒーを淹れたり飲む事、味に関する事を主軸に置いた話は、無い。
では、主軸とは何か。

 

例えば「第3話 すぐり」。
これは主人公“はるみ”が叔母を訪ねると、ちょうどもらったコーヒーの生豆(焙煎前の豆)を選別しており、そこから一緒に選別と焙煎を手伝い、挽きたてのコーヒーを飲んで帰ってゆくというエピソードだ。
話だけ聞けば、コーヒーメインのように思うかも知れない。
しかし、それは主軸ではない。

 

コンロの前に並び立ち、ぽつぽつと交わされる2人の会話には、どこか影のある。
平日の昼間。
学生くらいの年のはるみと、働いているがその日は仕事が無いという叔母。

 

丹念に描き込まれたコマの中には、さり気ない情報が濃密に置かれている。
けれど、説明はない。

 

読み手はそこから思考を巡らせ、その背景を想像する事しか出来ない。

 

 

そんな風に、唐突にはじまり終わる物語。

 

解説も無く、ただはるみは帰っていき、終わる。次話では全く違う物語がはじまる。

 

このように“切り取られた場面”をそのままに見ているようなエピソードが、続いていく。

 

まるで世界各地に散りばめられた隠しカメラを、ランダムに映していってるかのようだ。

 

そう、本作においてコーヒーは、“定点カメラ”のように機能する。
コーヒーというレンズを通して、様々な場面を、人々を見る。
それが本書の面白いところであり、私は完全にその魅力にはまった。

 

 

■コーヒーあるところ、人あり。
本作を、ただただコーヒーをネタにしたオモシロ短編集と見るだけでは、正直勿体ない。
じっくりと読んでいる内に、なぜコーヒーなのか、なぜ珈琲時間なのか。
それが納得出来てくる感覚を、是非味わっていただきたい。

 

コーヒーは、ひとりでには出来ない。
無論、コーヒーメーカーは存在する。多機能な機種ならば、時間を指定すれば勝手にコーヒーを淹れてくれるのだろう。
しかしそれも、セットする人間も飲む人間もいなければ、コーヒーは無い。

 

そう、なみなみと注がれたコーヒーカップの隣には、必ず“誰か”がいる。
どこで、何をしているかは分からない。それくらい多様な場に、コーヒーは置かれているからだ。

 

だとすれば、きっと交わらないような人々の物語を、コーヒーという媒体を通して、まるでスライドショーのように見ることが出来るのでは無いか。

 

そうしてまったく異なるエピソードを見続けた時、それでも彼らはコーヒーを飲んでいるのだと改めて気付く。
そうか、あの人もこの人も、あんなことがあってもこんな日常の最中でも。
コーヒーを飲んでいるのだ。

 

 

昔見た缶コーヒーのCMで、別々の分野・職場で働く人々が、挨拶を交わしながら同じ缶コーヒーを飲んでいるというものをやっていた。CMで意識されていたのは、味よりもコンセプトである。
あのコンセプトと、本書のコンセプトは同じ延長線上にあるように思える。

 

本書を読む中で、コーヒーを介して見える人々に、私は愛おしさを感じた。
そして読み終えた時、その愛おしさを込めたまなざしをもって、本書は描かれているように感じられた。

 

 

作中では、冬も夏もランダムに登場する。
いつ読んでも季節感を楽しめるし、先の季節を思い描きながら読むのも楽しい。

 

本記事を書いているのは冬真っ只中なので、暖かいコーヒーを傍らに、じっくりと読むと、より一層本書を味わえるかもしれない。